平和学習の美名の下に失われた命
沖縄県名護市辺野古沖で発生した船2隻の転覆事故は、平和学習という教育活動が、いかに無謀な計画と甘い安全認識によって運用されていたかを露呈させた。この事故で同志社国際高校の女子生徒(17)と船長の2名が死亡、14名が重軽傷を負うという惨事となったが、学校側の責任と判断の妥当性には厳しい批判が免れない。
まず、安全管理体制の致命的な欠陥が挙げられる。事故当日は波浪注意報が発表されており、海上保安庁の調査調整官が「小さい船に結構な人数が乗っていた」と指摘するほど過酷な条件下にあった。にもかかわらず、学校側は「抗議活動に従事する団体」の小型船に18名もの生徒を分乗させた。さらに、1隻目の転覆後に救助に向かった2隻目までもが転覆するという連鎖的な失態は、現地の安全確認体制が機能していなかった証左である。
次に問題視されるべきは、教育の名を借りた政治的偏向とリスクの軽視である。西田校長は「辺野古は基地問題の縮図」と述べ、2015年からこの見学を継続してきたという。しかし、生徒を乗せたのは牧師が船長を務め、普段から基地反対の抗議活動に使用されている船であった。中立公正であるべき教育機関が、あえて危険を伴う「海上行動」の拠点に生徒を送り込み、抗議団体の船を「学習の場」として利用した判断は、教育的な意義を大きく逸脱している。